週末の学び
(2006.8.11)
WGIP(War Guilt Information Program) ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム (戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画) この「プログラム」は 大東亜戦争を日本と米国との戦いではなく 実際には存在しなかった「軍国主義者」と「国民」との戦いにすり替えようとしている そして 大都市の無差別爆撃も 広島・長崎への原爆投下も その責任を米国人ではなく「軍国主義者」になすりつけようとしている
「閉された言語空間(江藤淳 著)」より引用 ここに CI&E(民間情報教育局)から G-2(参謀第二部民間諜報局)に宛てて発せられた 一通の文書がある 文書の表題は 「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」 日付は昭和23年(1948)2月6日 同年2月11日から市谷法廷で開始されたキーナン首席検事の 最終論告に先立つこと僅かに5日である この文書は 冒頭でこう述べている CIS局長と、CI&E局長、およびその代理者間の最近の会談にもとづき 民間情報教育局は ここに同局が日本人の心に国家の罪とその淵源に関する自覚を植えつける目的で 開始しかつこれまでに影響を及ぼして来た民間情報活動の概要を提出するものである 「日本の軍国主義者」と「国民」とを対立させようという意図が潜められ この対立を仮構することによって 実際には日本と連合国 特に日本と米国とのあいだの戦いであった大戦を 現実には存在しなかった「軍国主義者」と「国民」とのあいだの戦いに すり替えようとする底意が秘められている これは、いうまでもなく 戦争の内在化 あるいは革命化にほかならない 「軍国主義者」と「国民」の対立という架空の図式を導入することによって 「国民」に対する「罪」を犯したのも 「現在および将来の日本の苦難と窮乏」も すべて「軍国主義者」の責任であって 米国には何らの責任もないという論理が成立可能になる 大都市の無差別爆撃も 広島・長崎への原爆投下も 「軍国主義者」が悪かったから起った災厄であって 実際に爆弾を落した米国人には少しも悪いところはない ということになるのである そして、もしこの架空の対立の図式を 現実と錯覚し あるいは何らかの理由で錯覚したふりをする日本人が出現すれば CI&Eの「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」は 一応所期の目的を達成したといってよい つまり、そのとき 日本における伝統的秩序破壊のための 永久革命の図式が成立する 以後日本人の破壊が大戦のために傾注した夥しいエネルギーは 二度と再び米国に向けられることなく もっぱら「軍国主義者」と旧秩序に向けられるにちがいないから CI&Eが このような対立の図式を仮構するに当って どの程度マルクス主義的思考の影響を受けていたかは さだかではない しかし「これらのうち何といつても彼らの非道なる行為の中で最も重大な結果をもたらしたものは真実の隠蔽であらう」という 前書の一節が グロテスクな響きを発せざるを得ないのは この宣伝文書が 戦争とは国家間の争いにほかならないという自明な「真実」を「隠蔽」したまま いわゆる「真相」の暴露に終始しているためというほかない しかも、この宣伝文書が発表されたとき 日本の言語空間は すでにその存在を秘匿し 「隠蔽」していたCCDの検閲によって ほぼ完璧に近いかたちに閉され 監視されていたのである 前掲のCI&E文書が自認する通り 占領初期の昭和20年から昭和23年にいたる段階では 「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」は かならずしもCI&Eの期待通りの成果を上げるにはいたっていなかった しかし、その効果は 占領が終了して一世代以上を経過した近年になってから 次第に顕著なものとなりつつあるように思われる なぜなら、教科書論争も 昭和57年(1982)夏の中・韓両国に対する鈴木内閣の屈辱的な土下座外交も 『おしん』も 『山河燃ゆ』も 本多勝一記者の”南京虐殺”に対する異常な熱中ぶりもそのすべてが 昭和20年(1945)12月8日を期して各紙に連載を命じられた 『太平洋戦争史』と題するCI&E製の宣伝文書に端を発する空騒ぎだと いわざるを得ないからである つまり、正確にいえば 彼らは 正当な史料批判にもとづく歴史記述によって教育されるかわりに 知らず知らずのうちに「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」の宣伝によって 間接的に洗脳されてしまった世代というほかない 教育と言論を適確に掌握して置けば 占領権力は 占領の終了後もときには幾世代にもわたって 効果的な影響力を非占領国に及ぼし得る そのことを CCDの検閲とCI&Eによる「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」は 表裏一体となって例証しているのである・・