さあ、今日もお掃除とありがとうで人生を上げましょう⤴

 

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前回は、「ダスキン城北創業前夜」としてイントロみたいな記事を書きましたが、今回よりVol.1として改めて連載を開始します。
前回記事はこちら
https://www.jyohoku.com/2016/11/23/1740/

 

私は東京都北区志茂に生まれて、この地で育ちました。お陰様で地域の仲間に恵まれて、たくさんの地域活動にたずさわっています。

私が地域活動に取り組む理由は、弊社創業者である父が、地域の皆様に親しまれて愛されてきたからです。

今でも、少し年配の方たちと話をすると「あの頃のお宅のお父さんはね・・・」とか「よく昔は一緒に遊びまわっていたもんだよ」と聞かされたりします。

父が地域の人と一緒に交流していた姿はあまり見たことがないのですが、『志茂の三羽カラス』と呼ばれて、鳶(トビ)の頭(かしら)と建設会社の社長と弊社創業者の3人で赤羽界隈で飲み歩いていたと聞かされています。

鳶(トビ)の頭(かしら)は結構前にお亡くなりになったのですが、その奥様が言うのだから間違いはないようですね。

 

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目次

創業者の生まれ

弊社創業者は、1926年(大正15年)に、6人兄弟の末っ子として、現在の埼玉県加須市か行田市の近くに生まれました。

その実家があった場所は、今現在は誰も住んでいなくて、行けば昔の面影は残っているものの、私もほとんど訪ねることがありません。

私の遠い遠い遠い記憶の中では、祖母が健在のころ、車で到着した私たちを迎えてくれたり、近くに住む親せき筋の人が集まってくれたこと、近くに流れる川が大きくないのに水量が多くて、ゴウゴウとした音が恐かったこと、などが何気なく印象に残っています。

 

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(実際の場所には関係ありません)

 

須戸の加島屋

弊社創業者が生まれた実家は「加島屋」という屋号で商売をしていたらしく、創業者の両親(私の祖父母)が中心となって切り盛りしていたようです。

「ようです」というのは、私が物心ついたころに弊社創業者の実家を訪れたときの記憶では、何か商売をしてたような印象がありません。

ただ、弊社創業者の天才的な経営センスは、商家に生まれ育ったことで、幼いころから商売を刷り込まれてきた感覚なのかもしれません。

 

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(実際の場所には関係ありません)

 

加島屋の事業内容

弊社創業者が生まれ育った実家が営んでいた「加島屋」は、祖母が店を受け持ち、祖父は仕入れから夜逃げをした人の家具を引き取って売ったりもする、いわゆる「田舎の何でも屋」だったそうです。

祖母が受け持つお店では、馬車で荷運びする便利屋さんの昼食、馬にも水やりなどをやりつつ、果物、野菜、駄菓子、和菓子、酒、しょう油、缶詰め、サイダー、ラムネ、夏はかき氷、煮魚などお弁当のおかず、総菜、夜はお店にきてお酒を飲む人のお世話など、雑多な商売で朝早くから夜遅くまで働き詰めの働き通しで、ナントカカントカ生計を維持していたようです。

その他にも、役場や学校の宿直職員の夕食の出前も毎日こなして、ときには消防訓練や軍人さんたちへの仕出し弁当も500~800人分も注文がくるときがあって、そのたびに家族総出の徹夜で乗り切っていたとのことでした。

500~800人分もの仕出し弁当の注文が入ると、お手伝いの手はいくらでも必要で、男でも子供でも駆り出されて、お米とぎ、ご飯炊き、油揚げの味付け、折詰、などなどできることは何でもやらされたと言っていました。

お弁当作りは、今のようにお米だけ外注したり、すでにカットされた野菜を仕入れたりできなかった時代です。お米は自宅の井戸水を大量に使うと水が枯れるので、裏のゴウゴウと流れる川までリアカーで運んで、手が凍る思いでジャブジャブと洗っていたそうです。

 

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(実際の場所には関係ありません)

 

みかんの数え唄

この頃を語る創業者の話で印象的だったのが、みかんの数え唄でした。

昔は正月元旦と2月11日の建国記念日(当時は紀元節と呼んでいたらしい)には学校で式典があり、みんな「みかん」を一人5個くらいずつ持たされて帰らされたそうです。

そのみかんの注文を受けるのも「加島屋」の仕事だったらしく、式典の前日の夜は、家族全員でみかんの袋詰めを行ったようでした。

みかんを数えるには唄があったらしく、みかんを土間に山ほど積み上げて、1回に5個ずつつかんで、「したら、したら」「みっちぇ、みっちぇ」「よっちぇ、よっちぇ」「いっちぇ、いっちぇ」「むっつぉ、むっつぉ」・・・・・「とおな、とおな」「11お、11お」「12え、12え」「13お、13お」とリズムと調子を取りながら、50個単位で250個のみかんの山を作って、800人分くらいずつ箱詰めを行っていたということです。

数え唄のテンポというかリズムというか調子は、忘れてしまいましたが、家族や近くに住む親せきが力を合わせながら家業を切り盛りしていた様子が目に浮かぶような話だったことは覚えています。

このみかんの箱詰め作業は、土間の上にゴザを敷いただけで、みかんが傷まないように火の気など暖房が使えなかったので、終わるころには震えがくるくらい体が冷え切ったのが思い出だと言っていました。

 

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まとめ

大正生まれの弊社創業者は、大正、昭和、平成と3つの時代を生き抜き、戦前・戦中・戦後から未曽有の高度経済成長にバブルの崩壊、失われた20年と、日本が移ろい変化していく過程を実際に経験したわけです。

現在の私たちが生活する社会環境が非常に恵まれていることが、弊社創業者の話を聞くとよく解るものでした。

それは、特に仕事をすることの大切さや楽しさと同時に、『人としての生きる道』と『健全な経済活動』を通じた成長を同時に追求すること、どちらかだけに偏ってしまってはいけないということの意味を教えられた気がしたものです。

そんな貴重な考え方を伝えてくれた弊社創業者の理念を実践しようとする私たちに共感して頂けたら、私たちの商品やサービスをご利用頂けると何より幸いです。

今後ともよろしくお願いします。

続きの記事はこちら
https://www.jyohoku.com/2016/12/29/1826/

 

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私からのメッセージ

鯨井 悟
鯨井 悟
『人としての生きる道』と『健全な経済活動』の調和・融合、両立を目指して、
お掃除とありがとうがあなたの人生を上げる⤴
『ありがとうの道』を提唱しています。

弊社の理念や私の地域活動に共感・応援して頂ける方には、
弊社の商品・サービスをご利用頂けたら何より幸いです。